きれいは正義。
1990年代~CMのコピー
「きれいなお姉さんは好きですか」
よくできたコピーだ。1990年代からパナソニックで使用されていたキャッチコピーだ。弟にもよくからかわれた。
大手が使うコピーというのは、概ね同意できる要素だけでできている。
結婚前の女性に限らず、男性が見てももちろん嫌な気はしない、むしろ違う意味でささったり(うなづいたり)してるはず。弟のレベルでも何かしら思うところはあるのだ、姉相手にしろ、近所のお姉さん向けにしろ。
これが育児や生活に疲れた主婦だとどうだろう、これもまた特に嫌な気はしない。というか、誰だってきれいなお姉さんは好きなのである。もちろん女性は対象としてだけではなく、自分だってそれになりえる。
きれいは正義だ。
サロンのオーナー
先日、所属しているサロンのオーナーが動画で突然の顔だしをした。動画内の景色もさることながら、オーナーの美しくきれいなこと。
普段、数字のことや規律のこと、習慣、目標にいたるまで事細かに解説して、自ら家庭と仕事を両立してみせているオーナーが美しくきれいなのである。これはなんと言う説得力か。
まぁここで言う「美しい」「きれい」の定義だけど、「美しい」は全体的に研ぎ澄まされたイメージ、「きれい」をより際立っている特別さがありちょっと大げさにもなる。「きれい」は部分的にも使えたり、全体的な雰囲気、風景などの背景も含んで使ってる、あと汚くないというか清潔感。人それぞれだけど。
女性が女性に向ける「きれい」「かわいい」はあてにならないと男性(夫)がいうが、私だって色々なものを見て生きてきた中年。こんな誰も見てないようなところでおべんちゃら言うほど暇でもない。
化粧気がなくても特別なライトが当たってなくても装飾品や衣装で飾ってなくても、そのしぐさと雰囲気、凛々とした表情できれいかどうかははっきりと言える。そんな感じの(どんな感じだ!)きれいさだった。
この人はしっかり生活してきていて、ちゃちゃっと家事も育児も仕事もこなして、色々なものを判断してきたのだろうな。そう思えた。この動画を公開するに当たっても一種の判断が働いたと思われる。
人は誰だって判断して生きているが、その判断の上手い人が上にいくのではないかな、これは私の最近のテーマ。話がぶれるからここではやめておく。
さて「きれい」でいるためには何が必要か。オーナーと私を比較するとしたら、オーナーにあって私にないものは、成果と自信、カリスマ性、清潔さ、節制というか制限、高い目標、適宜な取捨選択などだろうな。私は不潔という訳ではないが、何でも取っておくし安いと買ってしまうし妥協しやすい。折り合いというか、適当なところで満足するところがある。
男性にも同じようなことが言えるが、無精髭が生えて、穴の空いたパンツがワイルドでかっこいいというジャンルは男性ならではかもしれない。たいていは清潔感をともなった自制と達成された数値などが求められる。それを男性で言えば「かっこいい」女性で言えば「きれい」なのかもしれない。
きれいは正義だ。だからたぶんかっこいいも正義。
2010年~最近のコピー
ちなみにパナソニックは、2010年から「忙しい人を、美しい人へ。」というキャッチコピーを使っている。そうだ、よく電車で流れているやつ。こちらも文句のつけどころがない。かつての時代より忙しい人が増えたのだろうか。それと美しい人が減ったのかもしれない。いや美しいを諦めた人が増えたと言うべきか。
そういう私も、いつものランチではなくこれを車内で書き上げている。ランチにはランチでやるべき稼ぐべき仕事があるのだ。世知辛い。
先日、ある透明のディスペンサーを空けるためにドライヤーの前に髪に使い始めたオイルがある。これは特別なものではないが、ドライヤーの前に使うというたったそれだけのことで翌朝から髪に艶がでた。
今発見したかのように書いているが、それを知らなかった訳ではない。オイルもいつも洗面にあるわけだし、ただお風呂上がりはバタバタしていてやらなかっただけ。
そうなんだ。きれいなんて多分そこかしこに落ちている。それを拾う気持ちというか余裕、時間や目標みたいなものが忙しいとだんだん欠落していく。そしてそれが当たり前になる。そしてそれをして何になるのとすら思えたりする。そういった繰り返しで、きれいをしない人が増えていく。みんなきれいなお姉さんが好きなのに。
さてここで提案
さて、ここで男性陣であったり、今余裕のある人たちへの提案である。
あなたの家族、知人、周囲の人々は、美しくてきれいだろうか?その方が良いのではないか?
多分誰だってそう思っている、本人だってそう思っている。しかし本人たちはその気持ちが持てないでいる。
ここは何か一つ手を打ってみてはどうか。女性の多くはきれいに憧れを持つ反面、時間のなさとやることの多さ(それを忙しさという)で疲れ果てている。
優しい言葉や自由な時間、プレゼントのひとつやふたつみっつよっつ…(笑)を渡しても嫌がられることはないだろう。あなたは最近、身近な人に優しい言葉をかけましたか、ねぎらいましたか、ギフトしましたか。
若い女性がなぜ「さしすせそ」をよく使うのか。アニメのキャラはよくその台詞を言わされるのか。それを言うことがなぜモテるこつなのか。
「さすが!」「知らなかった~」「すごーい」「センスいい~」「そうなんですね♪」
それは1円もかからないのに相手を良い気分にさせるからだ。「さしすせそ」という形のギフトなのだ。
がんばる人にギフトを
私も一人暮らしで仕事を20年続けたから言える。仕事は大変かもしれない。けれどそれは自分の仕事であって、家族にどうこう言って直接助けてもらうことはできない。ましてやストレスで人に当たるというのは言語道断、依存過多、自立が足りない。
半沢直樹を思い出して欲しい。あんなに大変な目にあっているのに、家庭での穏やかなこと。できる人はきっとどこまでもできるのだなぁ堺雅人ってすごいなぁと思って惚れ惚れした。
誰だって時間に追われて満員電車に乗って上司や部下、取引先に挟まれて試行錯誤してやっている。それが仕事。
子育て中のママだって、育児と家事に加えて仕事している人もいる。保育園で出会うママはたいていそうだ。自分以外のもののためにがんばる人々に、エールを送ってもよいのではないか。きれいが拾えるかもしれない。
女性という枠組み レッテル
元号を決める有識者グループの「女性枠」が問題になったり、SNSで自分に付けるキャッチフレーズが「ズボラママ」「手抜き主婦」であったり、夫を誉める文句が「神旦那」「マジ夫神!」 だったり。わかるかなーこのあたり。
「有識者の男性枠」「神主婦」「ズボラ旦那」「手抜き夫」では話題にならないしワードが刺さらない。お母さんがズボラであったり、主婦が手抜きであることは一般には公表しにくいがために売りになる。夫は仕事だけでなく家事と育児をやり、優しい言葉をかけるだけで神になれる現状。仕事してなくても夫が優しいだけでも時に神と呼ばれるかもしれないよ。
でもちょっと「わたし@やさしい妻☆家事も完璧」これで実験したい気もするけど…
このあたりは過渡期なので、特別怒っていたり憤りを感じてるわけでもなく。今はこの言葉が響く時代で、きっと数十年後には死語になるのだろう。
埋もれている「きれい」
世の中は移り変わっているけれど、今この瞬間にも、忙しいけどきれいにりたい人はたくさん埋もれている。だって女性にとっても男性にとっても「きれい」はいつもあこがれで正義なのだから。
その「きれい」をどうやって発掘すればいいのか。
ここにきて急に宣伝をするが、これは私には買えそうにもない、セルフバックもない、シャンプーとリペアコンディショナーとセットで6,800円もするとても贅沢な商品を先日目にした。高いけど惹かれてしまう…日本初のパーソナライズされたシャンプーってなんだそれ。シャンプーのオーダーメイドなんて聞いたことがない。
きれいなサイトだった。買えないけど “7つの質問” に答えてシャンプーをカスタマイズしてみた。心理テストをするようだった。どんな答えが出るのだろう。
このサイトは、サイトを見た本人に買ってもらう設計だけれど、これはプレゼント用にも作った方がよいと思う。送り主が女性に7つの質問をするのはむつかしいし、カスタマイズしてみた人が「欲しいけどこれ買って~」と言えるシステムがあれば、きれいな人増えるのでは。そしてそのタグを拡散できるようにしておけば…広がるシャンプーギフトの輪。
輪が広がったら、コスト下がって安くならないかな。
こんな貴女に
私は今は買えない、家計も危ないし、ライティングで1文字1円の仕事を探し回っている状態。
しかしどうだろう。人前に出る、出ようかと言っている女性、生活や人生に自信とこだわりをもって生きている、リーダー的人物。外でがんばって働いて、やっと帰ってきてバスルームに入ったとき、あなた専用のシャンプートリートメントが備え付けてあったら。
とても贅沢な気分になって、きれいに丁寧に洗って、まるでサロンでケアしたかのような感じにはならないだりうか。まぁ、サロンでトリートメントなんて時間もお金も無いのでしたことがないけど、おそらくカットとセットで10,000円くらいはするはずだ。
それなら、この自分用にカスタマイズされたシャンプー&リペアコンディショナー、高くないんではないかなぁ。もしこの記事でシャンプー売れたら、私も買おうか。それともこの記事でライティングの依頼が来たとしたら、シャンプー買おうか。
きれいは正義だ。すべてのがんばる人へ。きれいができる余裕を。