マイナスに入ってもみんな戻れるように
こんにちは、最近あった嬉しいことをちょっと。
以前こんな記事を書いたことがありました。それに関する家族の話です。
かわいかった弟
下の弟は、おとなしい性格で親に反抗することもなく、いつも兄姉(私ですね)についてまわっていて、ホンダのCMの真似※をするかわいい奴でした。
※「てぃーりーりーりーホンダっホンダっホンダっホンダっ、してぃー!」という奴です
寝る前にはいつも、ずぼらな兄姉とは違い、翌日着る服を枕元にきれいに置いて寝る、几帳面な子でもありました。
両親というよりも、祖父祖母の部屋にいりびたり(囲われ)おもちゃやお菓子を欲しいままにしていた気もします。保育園の送り迎えもそうだったし。
姉としては、威厳を保つためか、バイトを始めると毎月のように小遣いをあげ、夜遅い場合は迎えにこさせ、要らないものは弟の部屋に処分したものでした…わっる
それでも嬉しそうにしていました。
二人の弟とその違い
上の弟は、色黒でもっさりしていたのでよくモノトーン系の服やジャージを買ってきていたんですが、下の弟は、上よりは爽やかに思えたのでパステルカラーのパーカーや、明るい色のTシャツを買ってあげていました。プレゼントとかね。
ある日「あの赤いTシャツ着てる~?」と何気なく聞いたところ
「あれ着て行ったら、お金取られてん」
と言っていたことがありました。そう、周りの強そうな友達に「いきってる」という子ども時代特有のいいがかりをつけられて、取られたみたいなんです。
そうかー・・・
上の子は、もっさりしてぼさーっとしてる感じなんだけど、地域の不良のトップとナチュラルに話をできるキャラでした。当時、私はその不良のトップの姉(普通)と仲が良かったこともあり、二人して「弟くんすごいよねー」と言っていたのを覚えています。
下の子は、そういう意味で不良グループに取り込まれているわけではないけど、どうやら弱小扱いされていたみたいで、私にも心当たりはあるけれど、多少は過ごしにくい環境だったのではないかな。おとなしかったし。
姉や兄の進路
私は、小学校・中学校と苦戦しましたが、学力でわけられる高校に入ったことにより、怖い人・派手な人があまり居ない環境を手に入れ、さらには集中できる部活動に所属。学校内でも力のある先生のもとで、ぬくぬく、ひーひーと過ごすことができました。
力のある先生というのは、キャリア、自信、ポリシーがあるという意味で、めちゃめちゃ厳しいけど筋がピシッと通っているため、生徒としては迷わず安心して進んでいけるというメリットがあります。(もちろん合わない人もいるよね、今ではパワハラになるかもしれない)ちなみに今もお元気で、まだ部活を見ているという噂も。何歳やねん。
そのあたりが転機で友人もでき、その後一般的に短大を出、就職となりました。
小学校ほどの大きな危機はなかったですね。
上の弟は、オール「3」だったのですが少しだけ数学ができたようで、高専に進むことができ、あっさりと就職も決まり、転職も結婚もなんかさらさら行ってる気がします。
奴は悩んだことあるのだろうか…
弟の進路
さて下の弟。兄姉がするする行く間、どうなっていたんでしょうね。小学校時代は同じエリアにいたので、結構目をかけることできたんだけれど、中学・高校となると自分のことに忙しくなってしまって、どんな表情していたのかさえ覚えていません。
姉でさえこれなんだから、母親にいたってはもっと何も知らないのではないでしょうか。3人の子育てと祖父・祖母の面倒、パートを掛け持ちしていたんだから。
一時期は、これが原因で弟がおかしくなったのではないかと思っていました。
高校まで、学力はそんなに悪くはなかったのですが、勉強に興味は少なかったようで。大学受験ではどこにも受からず、それを特にくやしがる感じでもありませんでした。
何も考えずなんとなく兄姉のように大学に行くものだ、僕も行けはずなのにと思っていたのかもしれません。
何かうまくいかないし、何がやりたいのかもわからない。アドバイスする人も母くらいしかいませんでした。(今でいうワンオペ)
そして、母に専門学校を進められて一時期通っていたものの、気が付けば昔の部活のキャプテンという人にターゲットにされ、就職していなくてもお金を借りる技を教えこまれ、いろいろな商品を買わされていました…
お金の価値について
その頃の弟は、お金の価値を何もわかっていませんでした。そして、唯一の友達であるキャプテンを悪く言おうもんなら、こちらの話を聞いてくれませんでした。弟はそれなりにキャプテンを信じていたんでしょうね。
離れて暮らしていた私は、「自転車操業」「1万円でできること」「1万円を稼ぐには」という資料を作って送ることくらいしかできませんでした。それがもう20年ほど前のことだと思います。
銀行のATMと消費者金融のATMの違いもわからない弟。
そして、それがわからないことについての根本的な問題意識のない家族。
悪いことを教えたあのキャプテンが悪い、気が弱くて断れなかった弟が悪い。みんなそう思って、なんとか穴埋めや対策をしてきました。
一転漁業へ
この環境が悪いんじゃないか?と弟は漁業の道に進んだこともありました。きっかけは忘れましたが。私は、それが縁で送られてきた「えび」を泣きながら食べたことがあります。
しかし、ここでも閉鎖的な職場だったため、明るいコミュニケーションをとることが苦手な弟はターゲットとなり、親方さんに小屋に連れていかれていじめられました。
もちろん、コミュニケーションだけではなく、仕事の要領も理解も悪かったのかもしれません。
そして転機の一人暮らし
家に帰ることが格好悪かったのか、地元に帰ってきてから安いアパートで独り暮らしをすることになりました。その時は派遣だったのかな、たくさんではないけれどお給料はもらえていたと思います。
これが良かったのか悪かったのか。心の声が聞こえるようになったきっかけでもあります。人と接する機会が激減した弟に、心の声が忍び寄るようになったのです。
あまり連絡をしてこない弟を心配して、久しぶりに上の弟が顔をのぞきに行ったとき、
「誰やこれは」
というくらい、顔の筋力が落ちて、目の力がなかったと言います。おそらく、下の弟は自分に何が起こっているのかわからず、とにかくトラブルをおこさないようあまり外に出ず部屋でじっとしていたんではないかと思います。
これがきっかけとなり、実家に戻り。そこからはついに病院のお世話になることになります。もちろん、そこにたどり着いただけでもありがたいんですが、もう少し私たちに知識があれば、そう思わずにはいられません。
孤独なガードマン
ガードマンの仕事もしました。人と接するのが苦手なので、あまり話さなくていい仕事を探したようです。ある時、立っていただけの弟に言いがかりをつけてきたカップルがいました。無表情で対応していたためか、さらに怒って男性の方が殴ってきたようです。攻撃的な性格ではなかった弟なので、殴り返すようなことはしませんでしたが、その時ばかりは腹が立ったのでしょう。警察に行くという判断をしたようでした。
後日、菓子折りをもって謝りにきたカップルに、首をなかなか縦に振りませんでした。そうです、どこで聞いたのか訴えると言いだしていたのです。その時は、弟がロボットになったのかと思いました。私も母も、当時の感覚では謝ってきた人は許すのが普通、と思っていたのです。
次から次へ
ほかに、日雇い労働のようなことをして、ぼちぼちと仕事をしてきました。調子の悪い時は1ヵ月くらい連続で外に出ない時もありました。薬の合う合わないで波があるようで、調子が悪いときは、「助けて」という幻聴に誘導され不法侵入をしたこともありました。それ以来薬は必須となりました。
お医者さんとも相性というのはあります。そして薬を処方するだけのお医者さんもいます。常に両親は藁にもすがるようにしているのですが、いつも怒られてしまうと言ってした。高圧的だったのでしょう。薬の相性が合わなくなるタイミングで別のお医者さんに通うことにしました。
そのあたりからかな、私の勉強が少しは追いつき、両親に対して「精神の病気」というものについて説明するようになりました。しかし、団塊の世代というのか理解は悪く、飲み込みも悪く
「たるんでいる」「やる気が感じられない」「怠けている」「運動をしろ」「早く起きろ」「本を読め」
そう言い続けられて、おとなしい弟も家で落ち着けなくなりました。LINEでのカウンセリングを続けました。
福島での放射能の仕事
仕事があると言われ、福島に出稼ぎに出たこともありました。気分転換にもなるだろうし、本人が行く気になっているのだからよいだろう、こちらで1日働くよりは少しでも稼げるのかな?なんて甘い考えて送り出し「立派になったな」と喜びました。
すぐには聞けず、少し日が経ってから聞いたところ、情報に疎いものたちばかり集められたのか、住むところとお弁当代、移動代、食費、仕事のない日など色々で、マイナスの日も結構あったと言っていました。でも帰る足がないということで、ネットで愚痴を吐く術も知らず、家族に助けを求める考えもなく、弟は期間が終了するまで帰ってきませんでした。
そんなことは家族中、誰も想像もしていませんでした。
またキャプテンがパワーアップして脅してきたこともあります。その時は、現在の知識と人力を総動員して、地元の議員さんにお願いして事をおさめてもらいました。
父も母も、弁護士も議員さんも出動です。姉は遠くでリスク管理の旗をふりました。
余談ですが、私の子の名前にはその地元の議員さんの下の名前がちょっと入っています。イメージのよい響きのよい言葉だったので、気に入ったいたのです。
人生ってなんだろう
なんだろう、いつも良かれと思って。
言われたこと、誘われたこと、やってみたこと、がんばったこと、信じたこと、頼ったこと、選んだこと。
マイナスに入ってアラートが鳴って、なんとかゼロ地点まで引き上げて、気付いたらまたマイナスに引きずられて、戻って。
「車は事故するからもう乗らないでおくわ」(病気発覚前)
「俺が決めたことは良くないことが多いからなるべく決めんとくわ」
「お風呂が一番好きやけど、入るなって(声に)言われてるねん」
「夜は声がうるさくて寝られへん、どうしたらリラックスできますか」
「お姉の子はかわいいなぁ」
書いてて泣けてきた・・・
あの子は何のために生きているんやろう。
それでも、毎日薬を飲みつつ、私の誕生日にはお祝いの言葉をくれたり、「今度何か送るね」っという果たされたことのないリップサービス、子どもの心配をしてくれたり、母のマッサージをしたりしてがんばっています。
そんな彼がついに、先日就職したと連絡をくれました。今までにその手の話で何度喜んで、何度がっかりしたかしれません。
今度はどんなオチがつくんだろうか。いや、今までの分が積もり積もって、何かすごい展開が待っているのではなかろうか。
さっそくリスク管理の塊のような夫からは、就職先と斡旋元の調査をするように指示されました。確かに、ここまできたら性善説言うてる場合じゃないですからね。
そこまでは、ちょっと調べてみましょう。
何事もないことを願わずにはいられません。
ゼロからプラスへ
人が幸せな生活を夢見たり、成功したいとチャレンジしたり、ゼロからプラスへの活動をするのは一見当たり前のことかもしれません。
しかし、弟のように気付いたらマイナスに入ってしまっていて、ゼロに戻すのさえ周りの手を借りなければならず、プラスの人生を送るのが困難な環境や状況というのもあるのかもしれません。
今助けがあるということ自体、弟はプラスなのかもしれせんが。
「当たり前」ってすばらしいです。TV楽しい、明日あれやろう、8時間も寝て腰がいたい。これ全部すばらしんです。
だからもし、その「当たり前」に余力があるのなら、周りのマイナスの人に分けてあげてください。
世の中が全部そうなれば、地球の平均があがるでしょう?ちょっと楽しいでしょう?