せっかくなので、簡単に書かせて。

ブログの書式とかテーマとか考えずに書いてもいいかな

きれいな思い出。

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こんにちは。今日は時間がないかと思いきや、コメダのニュースを見て、ふと忘れていた記憶を思い出したので書いておこうかな。

今回の関西の地震で、私は20代の頃親しくしていたお客さんの名前と顔をよく思い出していました。それは私が営業をしていたこともあって、地名とお客さんの名前を暗記していたからなんですね。

豊中といえばSさん、寝屋川と言えばMさん。お世話になったな、元気かなぁ。

不思議なもので、身内の名前より先にお客さんの名前が脳内に再生されてきてしまう。(これは、親戚の名前を文字で見る機会が少ないからだと思われるけど)

特に、この豊中のSさんとMさんは兄弟で、まだ年賀状のやり取りもしていたりする。一度は息子さんを紹介されたことも。ははは、あの時結婚してたら3人は産めたんかな…

よく思い出すお客さんというのは、やっぱり営業しがいのあるお客さんというか、よく通ったお客さん、そういう感じが多いんだけど。

忘れていることが多いけれど印象に残っているのは、入社2年くらいの間に担当したお客さん。ほとんどが商品紹介の練習、訪問の練習みたいな感じだったんだけど、セクハラまがいな人が多いなか、優しい人もいて。

訪問するたびに、近所の喫茶店「ジョイフル」でコーヒーかミックスジュースを頼んでくれた。あの時、ご主人の方はだいぶ高齢だったのでもういらしゃらないのだろうか、奥様はどうなのか。

何の商品を進めていたのか思い出せないけど、たぶん3か月とか6か月満期のあれだったかな。同期から引き継いで担当したので、おそらく2年目のお客さんだ。いつから交流なくなったんだろうな。忙しくなった3年目くらいだろうか。後輩に担当変わったんだったかな…

おそらく、今でもよく出向いていた町に行くと、地図を見なくても20軒くらいは訪問できる。仕事の話は少ししか覚えてないけど、お客さんの家族や趣味の話、着てた服、食べたものそういうたわいないことは覚えているな。

毎日が激動で劇場のような日々だった。

その時の同僚や後輩は今でもやっぱり仲が良かったり、離れててもなんかわかり合えたりする。ネットなんかもなかったし、まさに人と人の関係を地でいってたなぁ。

だからかな、とても大変な環境でも、みんな結構元気だった気がする。ブラックではあったけれど、常に人と人が話をして進めていた気がする。表立って悪態をついても、実際はそうでないこともみんな何となく知っていて、回り回って助け合えていたような。

仕事で活躍できにくい人も、カラオケ屋では一番張り切って先陣をきって活躍していた。皆は活躍しにくい原因(人格、待遇、境遇)をわかっている上で、社会人として表では演技をしてたのだ。怒る役、怒られる役みたいに。それがわかるのに数年かかっている。

いきつけの喫茶店があって、昼夜構わず、疲れたらそこにいってぼーっとしてたら誰かくるみたいな。ドラマか!

悲しい事件があったときもそこに行った。数人で集まって泣いてたら部長がお金を持った捜索隊を出してくれて支払いを済ませていってくれたな。「あいつら探してこいー、絶対どっかであつまってごそごそしてるぞ」言うて。

昔の思い出だからかな~美化されてるなぁ~

パワハラもセクハラもマタハラも全種類あったのに。思い出すことはいいことばかり。年取ったなぁ。

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やっぱり、人と人のつながり、大事。今日は最後にそれがいいたい。